投稿日:2024.06.04
こう書くと、「先生、お世話になったのは私たちですよ!」と、多くの卒業生は言うであろう。本年3月に退職してから、好みの作家の一人「宮城谷昌光」氏の「子産」を読み返した。「老師(日本語での先生)は、弟子の3倍量の知識が必要である。」とある。また「教えることによって、自分がどの程度理解しているかを確認する」ことも実感した。
これは、孔子の「これ知るを知ると為し、知らざるを知らざると為す。これ知る為り」
に通じる。つまり、弟子(学生)の問いにハッキリと分からないことに対して、「次回までに…」と答える教師、先輩は伸びシロがある。誰でも教員として完璧に回答することは不可能であろうし、あいまいな答えが間違って理解されると誤解を生む。
1985年に新潟大学(医学部衛生学)に講師として採用され、English Speaking Societyの学生ともよく飲みにいった。’78年新潟県庁に勤務してから、学生さんとの接点が少なかったからでもある。事務の女性に子供たちと言ったら、「先生は子供いないじゃない」と反論された。「学生はまだ幼いよ」と答えたら肯いていた。
本学2001年就任からは、完全に子供たちであった。特に1―2期生の印象が強いのは、風貌の”Mario”だけではなく、4年制以上の大学教員として、常に事務局に改善策を提言していたことが、何となく学生さんに伝わったからだと思う。要は皆さんに「声をかけた」ことが私にも反映した。自己満足があったものの、わずかな反発は仕方なかろう。
私は医師として”困っている、普通人を助けてあげたい”と思っていた。半健康人は多いと同時に、本学に来てからは、学生も困り事が多いことに気づいた。総括的に本学は主として、いかに資質ある専門職に育て、また自ら研鑽できるように促すか?、を目標にすべきであると思って取組んできた。
最後に2004年度から試行、2008年度からのカリキュラム化、2023年度から3年生の後期実施など、卒業生の皆さんからも大いに援助していただき、本学の連携教育(IPE: Inter-professional Education)は発展してきた。幸いにして、2009~2011年度文科省の戦略的GPを取得できたのも、参加学生ほか皆さんのおかげなのである。
(遠藤和男)